絶望と思考とミニマリズム

日々の思ったことを何でも書き記すブログ。

月10万円生活を達成。(つらい)

含み損が117万もあるため、月10万円生活を始めていた。

昨日で締め。結論として達成することができた。

そもそも私は月15万以下で生活していて、既に十分家計の無駄を削いだ状態だった。そこから更にマイナス5万を目指すという挑戦だ。

 

初月ということもあり、消費に対して非常に慎重になった。

先月までは慎ましくも窮屈な思いなど全くなかったのだが、「使ってはいけない」と思うと別段欲しいものがあるわけでもないのに重圧がある。

また、不幸にも仕事が多忙になった。12時間労働の日が続き、「お金を使ってはいけない」という強迫観念もあり(それでも別段欲しいものがあるわけでない)心身共に疲弊した一ヶ月間だった。

2,700円を残して、10万円生活チャレンジを達成することができた。

 

今回書きたいのは、10万円生活を達成するためのハックではなく、いくらで生活していようとも「困窮」を感じたら人は不幸を感じる、ということだ。

欲しいものがあるわけでもないのに、ふとした気軽な消費、例えばお菓子を買うだとか好きな果物を買うだとか、そういうところで「我慢」を感じてしまうと途端に不幸な気持ちに陥った。しかし、先月も果物なんて特に買っていないのである。

 

買えるけど買わないことと、買えないから買えないことは、心の負担に大きや違いがあることを知った。

人間は主体性を失うと不幸を感じるのかもしれない。お金を御している時は心は全く穏やかだが、お金に支配された瞬間、現実の状況は全く同じであったとしても、不幸を感じてしまうのだ。

 

お金に支配されないようにするには、「我慢」の回数を極限まで減らすことが重要に思う。

その方法にはいくつものやり方があるだろう。

ミニマリストの動画などを観て感化されるのは近道かもしれない。ただ、「我慢」が続いて心が疲弊しているととても共感できる心情にはなれないかもしれない。

今回の気づきから記すとすれば、お金の支配以外のストレス源を減らすことでかなり心は楽になりそうだ。当たり前のことだが大切なことである。仕事のストレス、対人関係のストレス、これらは散財によって気分を変えたいという欲求を促す。そんな時、お金の支配のストレスまであったなら心が疲弊するのは無理もないことだ。しかしそう簡単にストレス源から解放されるなら、誰も苦労はしないかもしれない。

 

そこでつまりは、「我慢」の回数を極限まで減らしネガティブにお金なことばかり考えることから解放されるには、引き絞った蛇口を少し緩めることがよいと思う。

10万円を達成することが目的であって、何もかもを我慢して苦行することは結果に過ぎない。

苦行にならなずに10万円を達成すればよい。それには、お菓子を買うだとか、休日のスタバでラテマネーを愉しむとか、たまにはハンバーガーが食べたいとか、少額の消費を堪えない勇気も大切に思う。

少額の消費は塵として積もっていくのはそのとおりだ。しかし苦行をすることは全く目的ではない。苦しむことなく10万円を達成できればそれが一番である。

たまの少額の消費をしたら10万円を達成できなかったのだとしたら、少額の消費が原因なのだろうか?趣味の消費なのでは?趣味の消費を抑えようがないのなら、そもそも少額の消費で命を削る意味がないのである。その月はそもそも10万円で生活することは難しかったのだ。

 

10万円生活とはそのレベルの生活であると理解した。

美しく張られたロープの上を寸分違わぬバランスで歩くことだ。

少しでもバランスが崩れればあえなく落ちてしまう。あまり慎重になり過ぎても、この生活を続ける意思を保つのが難しくなる。

どこにお金をかけるのかは人それぞれで、最低限の生活費も人により違うだろう。

ただ、推し活に5万必要だった時、88円のお菓子をいくら歯を食いしばって我慢しても、それはあまりにも儚い苦痛である。